嵐は夢の中の偶像だった ‐祖父の言葉から始まった2年‐

2020年12月31日私の中から一つのものがなくなった。

 

なくなった、という言い方は少し違うのかもしれない。けど、私の感覚は「なくなった」なのだ。

 

 

私は嵐担ではないし、嵐のCDを一回も買ったことがない。けれども、毎週VS嵐嵐にしやがれ、(ひみつの嵐ちゃん)を楽しみにしていたし、嵐がTVにでていれば必ず見てたし、嵐のドラマも欠かさず見ていた。歌番組もJUMPちゃんと嵐だけ残して後は一気に削除していたJUMP担だ。

 

私みたいな人は割と多いんじゃないかと思う。

嵐ってわかる?櫻井翔知ってる?と聞かなくてもこないだの翔ちゃんのさーダブルパーカーさーって言って話が通じる。これこそを国民的スターと呼ぶのだろうと思う。(ダブルパーカーの話永遠にしてごめん)(伝説だから...)

それくらい嵐は日常にいたし、嵐のいない日常は考えられなかった。

 

 

活動休止発表をした日を今でも鮮明に思い出される。

 

あれは夕ご飯を食べようとしていたとき、私の祖父が急に「嵐解散するんだって」といってきた。

祖父は芸能界にものすごい疎いので、私も私の母も天気の方の”嵐”にしか思えなくて、

 

え?嵐??解散??何言ってんの??

 

と口に出してた。

その約一分後、嵐の活動休止が決まりましたと速報で入ってきた。私は大パニックだった。え?だってあの嵐だよ?何言ってんの?とまだ夢心地だった。

急いでご飯を食べ終えてTwitterを開いてからやっとこれは現実だ...と確信したのだ。

 

 

今思い出してもまさかじいちゃんが一番最初に情報キャッチすると思ってねぇよ...

 

 

でも、そのくらい嵐は私にとって当たり前に存在していたし、いなくなるにしてもまだずいぶん先の話だと思っていた。

その日はたしかテスト前だったのもあって記者会見を見ていない。

でもまあ、実際見ることができなかったと思うので結果オーライ。翌日のWSで全部見た。ちなみにしっかりと録画したがそれを見たのは活動休止後だった。

 

長々と当時の実況をしたが私が初めてジャニーズを知ったのが嵐だった。

謎解きはディナーのあとでの翔ちゃんがかっこよすぎてワーキャー言ってた気がする。

あれはたぶん私が初めてかっこいいと思った人だと思う。

 

影山、私の初恋を奪わないでちょうだい。

 

 

 

 

 

活動休止を発表してからお茶の間ファンな私にも嵐はたくさんのものをくれた。

 

インスタとTwitterは即フォローしたし、YouTubeなんて嵐がアカウント開設してなかったら自担のあのパンケーキ動画まで多分入れてなかった。(今はジャにのちゃんねるにどっぷりなんだから人間って怖い...)

 

ワクワク学校にも行った。JUMP担の友達が当ててくれて奇跡的に行けた。嵐に会うという夢を一つかなえることができた特別な日になった。(ずっと嵐のライブ行きたいねって話していた母には申し訳ないけど...)結局ライブは行けずじまいだがこの目で見れて本当に良かった。友達ありがとう。

友達にでっかい感謝。持つべきものはオタクだ!!!!!

 

 

そして2020年大事な年。

 

のはずなのにあいにくすぎる受験生だったため、毎週録画していたものを享受するという生活だった。ためまくっていたけど...。結局全部見終わったのは3月だったし、その頃はもう普通に楽しんで見れてた。にのあいの頭ポンポンはさすがにキタけど...(JUMPの10周年も受験生だったのも未だに恨んでるからな。)

 

参戦していたのが最後だろうと思ってたワクワク学校もしっかり見た。

YouTubeの紙芝居動画も学校にいけない自粛期間中の勉強の合間に見てた。

YouTubeでしっかり嵐のライブの予習もした。

 

デビュー日ライブはさすがに受験生ということもあってお見送りしたのだが、大みそかのライブはしっかり母と一緒に見届けた。

 

 

ワイハで登場し気分アゲアゲだった私はまだそのときはワイハの歌詞の意味に気づいていなかった。

なぜなら、ラストライブだからというよりも純粋に嵐のライブを楽しんでいたから。

 

出会えた仲間よそのままでいい ためらうことなど何もないぜ

俺達はきっと胸に秘めた 涙の代わりに笑ってSay goodbye

 

このヤバさに気づいたときはもう深夜だった。

ワイハの歌詞はすべてがヤバいんだけど、ここが特にヤバかった...ね......

 

 

お茶の間ファンでもほぼ全曲分かって一緒に歌って踊れたのはほんと~に嵐は優しいな~と思った。(いや、ただ嵐がスゴイだけなのかもしれないが)

 

 

風の向こうへを嵐と一緒に懐かしいね~って母と言ってたの、自分ももうそんな年になったんだな...と感慨深かった。

 

私の青春にはいつもどこかに嵐がいたんだなって。

 

嵐の曲の中でいっっっちばん大好きなMonsterのイントロ流れたときは危うく近所迷惑なりかけたのとか、GUTSを小学校の運動会の全校ダンスでやったな~Mステ食い入るように見て練習したな~とか、ドラマめっちゃ見てたな~聞いてたな~とか。

 

 

数少ない知らない曲の中で、めちゃくちゃいい曲だな~この曲好き!!ってなったのが台風ジェネレーションだった。知らなくてごめん。嵐の直筆を特に気にして見た記憶はないけど、大野くんの字は一瞬で分かったのなんなんですかね...?自担の隣にはいつも強化大野担がいるからかな?

 

翔ちゃんのラップが大天才てれびくんだったし、キッスの言い方が好きでしかない。キスじゃないんですよ。キッッッスなんですよ。

 

翔ちゃんへ。好きです。私より。

(ちなみに翔ちゃんと結婚したいし、翔ちゃんにパパになってほしいし、翔ちゃんに担任をもってもらいたいタイプのオタクです)(どんなオタクだよ)

 

 

 

それはそうとしろ、、何といっても、にのちゃんの

 

じゃあ行ってくるから あっ、さよならじゃないよね また会えるから 

 

のお顔が優しすぎて、しかもこの今このタイミングでこのセリフ...となって私はここで初めて嵐は本当にいなくなるかもしれないんだと気づいた。

 

 

遅すぎだよ自分。しかもまだいなくなる””かも””の段階なんだよ。

 

 

 

 

ずーーーーーーっと純粋に楽しくエンターテイメントを見せてもらっていたけれど、にのちゃんの最後の挨拶の

 

後輩のみんなも「嵐のようになりたい」とか「嵐みたいになりたい」とかそういうことはもう、言えなくなります。これからは、あなたたちの色で、あなたたちの輝きを、あなたたちのファンに届けてあげてください。

 

ダメ。もう完全にダメだった。ここで私の涙は止まらなくなった。急に来た涙腺崩壊。

私はJr.か?ジャニーズJr.だったのか?

 

 

でもここで、嵐5人の挨拶で、やーーーーーーーーーーーーーーっと嵐は本当にいなくなるんだと気づいた。

 

だから遅すぎだって自分。

 

 

 

 

 

たくさんのファンのメッセージに囲まれながら、きれいなまま、私たちの目の前から一瞬で消えてしまった嵐を見て、私はこれまで夢を見ていたんじゃないかなとすら思ってきた。

 

始めから嵐はいなかったのかもしれない。

嵐は私(たち)が作った偶像だったのかもしれない。

 

 

 

 

 

結局嵐がいなくなってしまったんだなと感じたのはド深夜でも翌日でもなかった。

今でさえ感じていない。多分、そう感じることはこれから先もないのかもしれない。

 

え?冒頭で言っていたことと矛盾しているって?

 

 

 

たぶんそれはきっと、あの日からずっと、せめて今日だけは消えないで。と願っているからなのかもしれない。